サマーキャンプ お~きな輪 2014【平成26年度】『がんばれ共和国』レポート

サマーキャンプ お~きな輪 2014 レポート

  • 沖縄県宮古島市 / ホテル アトールエメラルド宮古島
  • 期日 / 7月11日(金)~7月13日(日)

 「来年のサマーキャンプは、宮古島でやろうよ!」お〜きな輪実行委員会では、「なんくるないさ」(どうにかなるさ)の考えがあったのか? 本当に簡単に決まりました。誰もそのとてつもない計画につき合わせられるとは想像できませんでした。初めての離島開催でもあることは、全てが初めてであることで、ほぼ0からのスタートとなりました。宮古島現地の実行委員会と沖縄本島の実行委員会に分かれて活動が始まりました。実行委員長と川上副委員長は、両方の委員会に参加しました。今回の副委員長(宮古特別支援学校)の働きがなくては実行に至らなかったと思われます。

 まずは宿泊場所のホテルを決めることから始まりました。宮古島は、超高級リゾートホテルは多いのですが、あとはビジネスホテルで、その中間が少なく、ほぼ選択の余地がなくアトールエメラルドホテルに決まりました。日程は、6月の沖縄県の慰霊の日を挟んだ3連休(6月21日~23日)で進めていたら、その日は宮古島では大きなイベントであるロックフェスティバルとかち合い、飛行機の便が取れないので、ホテル側から変更を進められ、今回の日程(7月11日~13日)になりました。離島開催ため、移動時間が必要で、1泊では無理で期間は2泊3日となりました。ホテル側も難病のこども達の受入は初めての経験で、何度も「がんばれ共和国の説明」を繰返しました。幸いなことに、担当者は、障害児者に対して十分に理解のある方で、色々と丁寧に対応してもらいました。離島開催のため、交通に費用がかかり、どのくらいのキャンパー参加があるのか、そこが不安の始まりでした。初めての離島開催のためプログラムも色々と考える必要がありました。折角宮古島に来られているので、ホテルしか知らないととても残念なので宮古島内観光を入れました。それは、プログラム、移動手段など大きな課題を実行委員会に与え続けました。キャンプの3ヶ月前からは実行委員会はほぼ毎週開催されました。

 特別警報が発令された台風8号が、宮古島をキャンプの5日前に直撃するとのことで、どうなるのか大変心配でした。幸いなことに宮古島は、台風の進路の右側にあたり、予想された強風は吹きませんでした。台風8号で参加できない人がいるかと心配になりましたが、全員参加できることになりました。台風の影響を吹飛ばし、キャンプ当日は快晴でした。宮古の透明な海が、少し濁った程度でしたが、キャンパーからは、魚が見え透明度が高いとの評価を受けましたが、しかし宮古の海はこんなものではありません。

 今回のお〜きな輪は、まずはキャンプ地につく前からキャンプはすでに始まっていました。医療的ケアを受けている子ども達が、飛行機に乗ることから、準備が始まり、移動中も大きな課題を抱えていました。宮古島現地のスタッフは、現地での運営を担当し、沖縄本島のスタッフは、宮古空港までの往復の移動の担当になりました。それを引き受けてくれたのが(一社)Kukuruの鈴木恵さんで、大変なご苦労をかけました。次に航空機移動の報告をしてもらいます。

 参加者の人数が多ければ旅行会社での手配も可能でした。料金や参加決定が不安定等もあり、希望者は一般社団法人Kukuruで調整する事にしました。一度に移動する事で、現地での移動も難しいと事もあり、往復とも5便に分かれて搭乗しました。子ども達が安全に搭乗できるためには、それぞれの子どもの状況を詳しく知る事から始まりました。短い空路とはいえ、座位が取れない子どもたちにとって、飛行機に乗るというのは大変な事でした。事前にJALプライオリティーサービスとの調整をしていただき、那覇空港でもJTAの係員とも打ち合わせを重ね、当日を迎えました。空港内では、ほとんどのお子さんが機体ギリギリまで自分の車いすで行き、機内への移動はリクライニング式の車いすを利用し、抱っこで移動をしました。機内では、子どもの状況に応じて、固定ベルトを別途用意してもらい、体幹の固定が出来ました。座位が難しいお子さんは、リクライニングをしたまま離発着をさえてもらったり、ストレッチャーを用意していただいたり、その子の状況にあった座席での移動が出来たと思います。ただ、飛行機の特性上なので仕方ないのですが、座席間が狭いので移乗する 際の介助は親もスタッフも大変苦労しました。搭乗時間が短かったので、本人も家族もとても頑張りました。

 障害のある人・こどもが楽に乗り降りできるように、座席間が広い、ストレッチャーがもっと低い位置に固定出来るetc・・・要望は尽きないのですが、いつかそんなチャーター機が出来るといいなぁ~と願いつつ。飛行機に乗れるという素晴らしい経験が出来たこと、そして何より参加者全員が無事に飛行機に乗れた事、本当に良かったです。子どもも親も、この経験が自信につながったと思います。・・・以上が鈴木さんの報告でした。

  宮古空港からは、ホテルまでの移動がまた大きな課題でした。宮古島内(人口5万人)の全てのリフト車のリストアップから始まりました。介護施設のリフト車は、平日は送迎で使用しており、キャンプ第1日目の金曜日は平日であり、リフト車の利用には制限がありました。社会福祉協議会、青潮園からは、4台借用はできましたが、運転手の確保は何とかできましたが、それでも足りません。幸いなことに、介護施設の送迎のない時間(11:00~13:00)に、10名の車イスのキャンパーが到着したのも幸いで、その他に5台のリフト車を運転手付きで空港に送迎にいけたので、1回で搬送することができました。空港ではリフト車と患者の誘導を行うスタッフが空港に日中は待機してもらいました。その後は順番に車の手配をしてもらい、全員無事ホテルに到着することができました。事前の情報では、リフト車が少なく、リフト車でないワゴン車の情報しかなく、キャンパーの車イスの写真を送ってもらい配置を考えていました。この一年で全てリフト車になっていたので、配置が楽になりました。今回キャンパー家族の自家用車がないので、マイクロバス2台、レンタカーのワゴン車3台、介護施設のリフト車10台を含む合計17台の車がリストに上げ活用を考えました。

 キャンパーは5便に分かれて到着したので、ホテルに到着する時間は、一定ではないので、建国式は午後5時と遅い時間に設定しました。早く到着してもらったキャンパーには、早めにチェックインできるようの配慮してもらいました。そして建国式までは、お部屋でゆっくりと旅の疲れを取ってもらい、希望があれば入浴もできるようにしました。しかしホテルにはバリアフリーの入浴施設がないので、700m離れた近くのサザンコーストホテルのバリアフリールームを別に借りて、ダイバーが使用するシャワールームも借用しました。そこに入浴介助のボランティアを配置しました。サザンコーストは、ビーチの目の前にあるので海水浴の時にも利用できました。しかしリフト車での移動が必要で、第1日目は、要領が悪く介助は、大変混乱しました。夕食終了後に1時間半もかけて喧々諤々と意見を述べ合い反省会を行いました。おかげで翌日はシャワー室の改造も行いながら、スムーズにできるようになりました。順調にいったことで、一日目の混乱から考えるとスタッフの満足感は言葉に尽くせないものとなりました。

 建国式は、全てのキャンパー家族、ボランティアは飛行機の便の都合でかないませんでしたが、90%以上の参加をもって開催されました。宮古島での建国式の進行は、宮古特別支援学校の先生方が中心となって、日頃の学校での経験をもとに楽しく行われました。建国式の王様は、比嘉勇斗君(11歳) 女王は地元宮古島市の仲間百恵ちゃん(3歳)がしっかりと務めてくれました。

 建国式終了後には、入浴時間を1時間設けて、全員集合の楽しい夕食会となりました。キャンパー家族紹介を行い、地元のフラダンスサークルの歓迎の踊りを披露し、普天間音楽院の普天間健さんと実行副委員長の川上真貴子さんによるマリンバの演奏などが行われ、最後にはマリンバに触れ合う機会もありました。食事に関しては、ホテルも流動食の準備は初めてなので、県立宮古病院の栄養士さん達が現場まで来てもらい指導をしてもらいました。栄養士の長嶺さんは、心配なので毎回の配膳の様子を見に来てもらいました。お蔭さまで、特別食の準備は問題ありませんでした。

 夕食後にキッズ団は、ホテルが平良港の接しているので、海上保安庁の船をバックに花火を楽しみました。仲間意識がどんどんと高まっていきました。大人たちは楽しい交流会が始まりました。ホテルには、ゆっくりできる広間がないので、ホテルのすぐ横の居酒屋を貸し切って、深夜12時までの宴会を楽しみました。居酒屋おばさんが宮古島での最大の漁港である佐良浜の出身なので、本当に美味しい刺身を準備してもらい、宮古島に来たこと実感しながらの宴会となりました。

 翌日の土曜日は、大きなプログラムが2つありました。午前中は、パイナガマビーでの海水浴で、午後からは島内観光でした。午後からは宮古島の強烈な太陽光線には耐えられないと判断して、海水浴は午前中に行いました。昔東洋一のビーチとも言われた?(今は防波堤ができてしまった)パイナガマビーチには、バリアフリーで砂浜までスロープがありました。市は3年ほど前に投資をして設置したといっていますが、あまり使用されてなく必要性について疑問視されていたようですが、なんと今回の海水浴には威力を発揮しました。ビーチの砂浜には、仮設のテントを宮古島市の職員が設営してもらえました。気管切開していても、レスピレーターをしていても、ほとんどのキャンパーが参加しました。6人のプール指導員がボランティアで、本島より参加してもらい、付添のボランティアと一緒になって楽しい一時を過ごしました。各キャンパーの体力に合して満足できるまで、海を満喫してもらいました。その時の子供たちの笑顔で、今まで準備の苦労も跳ね飛ばしくれて、目頭が熱くなりました。本当に宮古島でよかったと思いました。海水浴が終わるとビーチ前のサザンコーストホテルで、入浴し着替えて、アトールホテルにリフト車で戻ることの一連の動きは、昨晩の会議で練ったとおりに円滑に行われました。これがてぃんさぐの会スタッフの実力だと思いました。

 午後からの島内観光は。ほぼキャンパー全員が参加しました、全リフト車を総動員しても一度に回ることは困難なので先発と後発の2班に分けました。それでもリフト車とマイクロバスが8台も連なると壮観なものでした。観光できるように遅い速度で移動したので、通行車に迷惑をかけ、都会では許されないことだと思いますが、宮古では30km/時の車は結構あるので、文句も言われなかったようです。宮古島で最も美しい前浜で、記念撮影を行いました。車イスの乗降なので大変時間がかかりました。普段だと30分余りで回ってしまう距離ですが、なんと2時間近くかかりましたが、宮古島を知る機会となったと思います。 

 観光に参加しない一人のキャンパーがいましたが、釣りが大好きで、朝食もとらず、弁当をもって釣りにでかけました。成果はなんとグルクン(たかさご)を中心に30匹以上釣り上げてきましたが、本人は満足せず、50cm以上のもっと大きな魚を狙っていたようです。台風の影響かもしれません。さっそく釣り上げたグルクンを保健所の保健師さんが、家でさばいて料理してもらい皆で食べました。

 二日目の室内プログラムは、押し花、茶道体験、ドラムサークル、リフレクソロジー・アロママッサージが行われました。盛り沢山のプログラムで、ゆっくりする暇もなかったかもしれませんが、楽しんでもらいました。茶道は本格的に茶室を設置してもらい、本物の雰囲気を味わってもらいました。

 夕食会の前よりドラムサークルを行い、地元の医療的ケアの子供の親の会「あまいるの会(笑顔の会)」と交流しました。夕食会では「あまいるの会」の自己紹介から始まり、宮古島と本島の方の交流がしっかりとでました。有意義な情報交換会となったと思います。

 夕食後キッズ団は、マイクロバスでナイトツアーにでかけ星空を観察することになりました。普段宮古島は、街灯も少ないので星空が本当にきれいですが、あいにく満月で、空が明るくあまり星が輝けなかったようです。月が明るく感じるのも宮古の夜が、人工的なものがなく、どこまでも透き通っているからです。大人の皆さんは、また隣の居酒屋で交流会となりました。最後の夜なので、昨晩の2倍の数が集まり、楽しい宴会となりました。そこには沖縄ならのサンシンが登場し、また宮古独特のクイチャーの踊りも加わり益々盛り上がりました。今回居酒屋は、門限があるので、午前1時には終焉となり、ホテルへの帰路につきました。明日に疲れを残さないいい方法かもしれません。しかしホテルでは、ロビーで明日の閉国式のための記念品の準備にスタッフが閉国式の準備(子供たちへの記念品)の真最中でした。本当に頭が下がりました。

 3日目の朝は、飛行機便の時間が違うので、開国式にも参加できないキャンパーもおられました。ゆっくりの方は、閉国式の前にホテルのプールを楽しむこともできました。キッズ団の貝殻で作成した記念品の作成も終わり閉国式の時間近づきました。キャンパーにはスタッフからの写真入りの記念品が贈られました。閉国式後では、宮古島での別れを惜しんでキャンパーとボランティアの記念写真を撮る姿があっちこっちで見られ別れを惜しんでいました。

 本当にあっという間の3日間でした。でもキャンプに参加した全ての仲間は、満足して帰路につきました。台風後で心配された天気も、3日間とも晴天と恵まれたのは、神様が見守ってくれたからと思います。キャンプ前に発熱のあったキャンパーも、自然と解熱し海水浴もできました。吐き気のあった子は、最後にはニコニコしていつもより元気になりました。宮古島のキャンプが自然の治癒力を高めたと思われます。こんなに無茶な計画を大成功に終えたのも、多くの方の協力のお蔭です。そして宮古島人々の存在能力の高さを照明したと思います。今回は離島への開催ということで、移動にかかる費用が大変なものになりました。最後にご援助を沢山もらえたTooth Fairyの皆さんには感謝したいと思います。

(実行委員長 宮城 雅也、航空機担当委員(一社)Kukuru 鈴木 恵)